山口組三代目田岡一雄の妻であった田岡文子の強い意向で山口組四代目を受諾。同年7月10日に継承式が執り行われたが、文子に反発した山広派は山口組を脱退、一和会を結成し山一抗争へと発展した。
超武闘派の竹中組組員
1985年1月26日、一和会のヒットマンが竹中正久組長を愛人のマンションで殺害、竹中組は執拗に一和会トップである山本広会長を狙うが、あまりの猛攻に一和会は瓦解し、有力組長が引退。山口組は抗争を集結させようと動く。
しかし、親分の仇を討つのがヤクザの筋だと譲らず、説得できなかった。竹中武組長の一派はついに山口組を離脱し、そのため山口組は竹中組と抗争になる。(山竹抗争)
2015年9月、山口組は竹中組出身者が率いる直系組織である柴田会を竹中組に改称することを決めた。
竹中組は、竹中正久四代目組長が結成した山口組直系組織だったが、竹中組長が射殺された山一抗争の終結方法に不満を持った実弟の竹中武組長が山口組を離脱。
竹中正久初代組長
2015年9月、山口組は柴田会を改名し二代目竹中組(山口組)を発足、会長は山一抗争で一和会会長宅を襲撃し、長期服役を終え直系組長に昇格、組織への忠誠心が強く、今回の分裂問題でも「六代目について行く」といち早く表明していた。
しかし、山口組と竹中組は対立していた歴史があり、田岡一雄三代目組長時代への回帰路線を取る神戸山口組に対抗し正当性を内外へアピールしていると見られている。
◆竹中組系譜
初 代 – 竹中正久
二代目 – 竹中 武
三代目 – 竹中 正
◆三代目竹中組(たけなかぐみ)組織図
組 長 –
若 頭 – 山下道夫
舎弟頭 – 小林三郎
旧本部住所 岡山県岡山市中区新京橋1-7-15
住宅街に組事務所があったようですね。
監視カメラがいくつもあります。
静寂の中に危険な匂いがします。
エントランスまではフルオープンですが、足を踏み入れづらいです。
姫路にあった旧本部は城南交番になっているようです。警察官は仕事をしてくださいw