共政会略歴
1946年8月~1959年10月 第一次広島抗争事件 22人が死亡、34人が負傷
1960年4月 浅野組が福山市に進出
1963年4月~1964年10月 第二次広島抗争事件 11人が死亡、14人が負傷
1964年5月 山村組・村上組など広島・山口両県の7団体が結集し共政会を結成
1969年10月~1971年9月 第三次広島抗争事件 4人が死亡、18人は負傷
1981年10月 共政会の山田久会長が広島市中区の事務所ビル建設断念を広島東署に表明
1985年1月 中国新聞社報道部長宅にペンキがかけられる
1985年1月 中国新聞社社長宅に散弾銃が撃ち込まれる
1985年11月 共政会組員らが岩本組組長ら2人を射殺
1988年7月 JR広島駅で共政会と新井組が銃撃戦をし、乗客3人が重軽傷
1990年2月 山口組系組長が島上組事務所のあったビルに拳銃発砲
1991年4月 波谷組系組長ら3人が侠道会系組事務所に拳銃発砲
2003年7月 県の公共工事に絡む恐喝事件で県警が浅野組内中岡組の中岡豊組長を逮捕
2004年6月 解体業界をめぐる恐喝事件で県警が共政会の守屋 輯会長を逮捕
2007年2月 共政会会長による恐喝事件で建設会社元社長があいさつ料(上納金)の返還を求め広島地裁に提訴
2010年3月 共政会会長に対する上納金返還請求訴訟で、広島地裁は守屋被告側に全額の支払いを命じる
2020年2月 六代目共政会会長・荒瀬進と、六代目山口組若頭補佐・安東美樹(二代目竹中組組長)が兄弟分となる縁組盃儀式が執り行われた。
◆共政会系譜
初 代 – 山村辰雄(山村組組長)
二代目 – 服部 武(服部組組長)
三代目 – 山田 久(山田組組長)
四代目 – 沖本 勲(沖本組組長)
五代目 – 守屋 輯(流川組組長)
六代目 – 荒瀬 進(荒瀬組組長)
◆六代目共政会組織図
会 長 – 荒瀬 進
理事長 – 薮内賢治(五代目美能組組長)
本部長 – 迫田一臣(二代目今田組組長)
幹事長 – 池田輝光(池田組組長)
組織委員長 – 金村 稔(金村組組長)
事務局長 – 村上 明(ニ代目播真組組長)
◆理事長補佐
慶弔委員長 – 藤井 真
親衛隊長 – 蔦野 諭(二代目荒瀬組組長)
東広島支部長 – 瀧尾信昭
◆支部長
江田島・大竹地区支部長 – 山本達宣(山本組組長)
◆行動隊
行動隊隊長 – 井田幸伸(三代目沖本組組長)
◆常任相談役
石井謙二(石井組組長)
荒岡満州雄(荒岡組組長)
藤田靖彦(藤田組組長)
◆相談役
沖田 孝(沖田組組長)
播真昌男(播真組組長)
三浦 勇(三浦組組長)
◆副会長
大上博司(二代目片山組組長)
上田孝司(上田組組長)
◆参与
新谷義行(二代目伊藤組組長)
吉田明則(吉田組組長)
為広雅彦(為広組組長)
吉岡正光(二代目吉岡組組長)
前中鉄造(前中組組長)
◆本部責任者
半田良博(半田組組長)
◆事務局長補佐
金子 誠(金子組組長)
◆副事務局長
平野正実(二代目青木組組長)
田中宏昌
◆執行部付
木村博司(木村組組長)
引野良典(引野組組長)
◆地区責任者
三次地区責任者 – 森藤純一(森藤組組長)
◆会長付
永尾洋二(永尾組組長)
上田嘉居
森島真治
前崎 学
山田 航
◆直参
前崎 修(前崎組組長)
和田 努(二代目和田組組長)
正木隆裕
山内純二
奧島信雄
上瀧靖治(二代目流川組長)
宮本哲成
岩本和広
林 邦彦
高橋朋嗣
◆直参扱
松本 博
山田裕司
中山国彦
味園正義
景山 賢
植木茂男
佐々木渉
矢賀垰徹
総本部住所 広島市南区南大河町18-10
黄金山の展望台に行くには必ず共政会の本部事務所前を通らなくてはいけません。
根性を決めれば、この様な素晴らしい夜景を見る事ができます。
以前、黄金山の展望台に彼女を連れて行こうと思ったら、途中で怖い人に睨みつけられました。後から共政会の総本部があると聞き、身震いしたのは良い思い出です。
広島の暴走族はこの近くを走る時だけ6速に入れ、静かに走るそうです。
城の様な造りですね、御殿という言葉がピッタリです。
新興宗教の本堂にも見えます。
なんかこっちを見ているお二方がいらっしゃいます。
組員の方の出迎えです。
この前を通って夜景を見に展望台に行きますか?恐ろしいですね、知らないで黄金山には行かないほうが良いです。
知人がここで組員の方に止められ、「わりゃどこいくんなら?」と聞かれた事があるそうです。
どこに行くって、展望台以外に無いのですが、「あ、あの、夜景を見に行きます。」と答えると、「よそで見れや。」と怒られ、半ベソで帰路についたそうです。
広島でロマンチックに夜景を見るのは命がけですね。