◆神戸山口組組織図
組 長 – 井上邦雄
舎弟頭 – 近藤大恵(徳心会会長)
組織委員長 – 元満志郎(二代目安部組組長)
若頭代行 – 小嶋恵介(二代目中野組組長)
本部長 – 青木和重(五龍会会長)
若頭補佐 – 藤田恭道(二代目英組組長)
若頭補佐 – 竹本 均(百八竜会会長)
◆舎弟
須ノ内祥吾(二代目東生会会長)
◆幹部
清崎達也(四代目大門会会長)
◆若中
玉城吉広(四代目古川組組長)
岡田 豊(二代目西脇組副組長・西虎会会長)
◆組織委員
宝満国広
與 則和(與組組長)
小林 茂(三代目臥龍会会長)
西野雅之(二代目健國会会長)
山之内健三(誠竜会会長)
藤岡宏文(誓仁会会長)
岩崎尚介(二代目道志会会長)
宮田世市
西岡義明
高橋武身
小島慎也(小島会会長)
富士田 真(二代目愛芳連合会長)
永田 仁(二代目邦将会会長)
村田恵嗣(村正会会長)
長田正雄(長田総業組長)
山口組離脱の経緯
2015年8月、弘道会が実質的に山口組を支配し、弘道会系幹部が重用されていた事に対し、山健組等の在阪一部幹部に不満を持つものが増え、関西エリア13団体が山口組を脱退、その後参画する団体は増え続け、2016年8月現在24団体となっている。
山口組分裂は、弘道会と山健組の対立が大きな原因と見られており、離脱したのは反弘道会の組織が中心で、その旗頭が山健組だ。
この対立は六代目体制前の五代目体制以降からの山口組の歴史に関係し、山健組が中心だった山口組において構成員が最多で、田岡三代目組長の山口組創設時から山健組は代表的な組織だったが、司忍が六代目山口組組長となり、その後の組運営の問題で弘道会と山健組は次第に対立するようになった。
山健組が山口組の中心的な役割を果たしてきた歴史は誰の目から見ても明らかで、弘道会が山口組の表舞台に立ったのは六代目体制になってからで日が浅く、山口組を自分達が支えてきたという意識は山健組にプライドとしてあり、それがアイデンティティにもなっている。
神戸山口組という名称を選択したのは、山口組はあくまで神戸を中心とした組織で、名古屋が中心と言わんばかりの弘道会に対しての宣言と言え、離脱こそしたが、山口組に対しての愛着は現六代目山口組に勝るとも劣らない、非常に強いものがあると言える。
山口組系の構成員である組員は分裂前の約1万人から半年で4000人以上減った。神戸山口組は山口組の引退者名簿を入手し、幹部が電話などで復帰と合流を迫っているほか、個別の引き抜き工作も展開している。
2016年4月7日、兵庫県公安委員会は、神戸山口組を暴力団対策法に基づく指定暴力団とする事を決定し、15日に官報に公示された。
2017年10月25日、本部事務所を閉鎖し、神戸事務所に機能を移転
2022年8月22日 侠友会が脱退
2023年7月 総本部住所を加古郡稲美町に移転
総本部事務所 兵庫県加古郡稲美町中村字池乃跡1379−10
元は畑だったようですが、地目変更がスムーズにできたのか疑問です
正面入り口のようですが、中が容易に見える設計です
隣接する道は農道で狭く、会合の時は苦労しそうですね
なぜか用水路に黒いビニールが敷き詰められています
こちらの入口は駐車場とは隣接していないことから、正面入口はこちらの可能性があります
裏側の駐車場入口です
旧総本部住所 兵庫県淡路市志筑88-1
元々は石材店だったようです
こうしてみると警察署の建物にも見えます
この警察官は一体何を守っているのでしょうか
旧総本部住所 兵庫県神戸市中央区二宮町3丁目10−7
日章旗を掲げている組事務所も珍しいですね
この時はまだ備品が搬入されていない様です
これから提灯とか置いていくのでしょうか
機材搬入用の保護マットですね
元は右翼団体の所有だったそうです