【暴露】後藤忠政氏名義の怪文書が出回る

後藤忠政怪文書
ヤクザニュース
 

2017/5/4

神戸山口組分裂騒動後、後藤忠政氏(元後藤組組長)名義でとある文書がTwitter、LINEで広められており、真贋のほどは未確認。

後藤忠政怪文書

山健組宅見組など数社が六代目山口組を離脱し、新たに神戸山口組を旗揚げした一因に、名古屋方式への反発がある。

カネの吸い上げ、引退者の財産没収など。

しかし、今回、山健組内部で、1月初旬に様々な不正が発覚していた。

名古屋方式と何ら変わらぬやり方で、コソコソやる分だけ名古屋よりタチが悪いと吹聴する部屋住みもいたらしい。神戸山口組内部では、山健はトドのつまり、綺麗事ばかり並べているだけ。

五代目時代を反省しておらず山健組主流に戻したいだけだった。つまり組長井上が高山にヤクザとして及ばなかっただけで、遂にメッキは剥がれた。

同時に井上組長は、六代目山口組に10年以上居たのに、山健にあらずんば山口にあらずにの時代に戻したくとも力及ばず、志半ば私利私欲の為の分裂が露呈した事になる。

また山健組では度重なる臨時金の度、中田が井上組長の名の下、ポッケにぽっぽに味をしめ、半ば公然の既成事実化と浸透すべく日夜、資金力に乏しい織田一門を嘲笑うかのように、我がの親分に対し目に見える資産と組織力の貢献に勝る忠誠心があるかと挑発していた有様で、織田の部屋住みが全て録音済みである。

しかし中田の意味するところの発言は、その悪行を肝心の井上組長が知ってか知らずかが最大の争点も、その疑惑は山健組が連休明けに五代目の中田の跡目継承からも真実は火を見るより明らかである。

井上組長独断の吸い上げも、中田のスタンドプレーも、又はそのどちらでもない時も、又、二人で山分けか、余程ヤクザのすることではない。

神戸山口組発足後の山健組では、直参が死ぬと家から何から没収し、それが井上の名代となると山健組の誰にも真偽はわからなくなる。

これが神戸山口組でまかり通るとなると、何の為に盃返しの謀反を起こしてまで離脱を選んだか、悩みは尽きない。

井上組長は加古川の、中田は名古屋の、共に病死や自決で死んだ直参の自宅や財産など全て遺族から取り上げた。

井上組長限っては、六代目を割って出る前から用意周到に万一に備えら
神戸山口組発足の前に命の保身を済ませた。

結成式の時には、井上組長は我がの住民票を既に加古川の奪った家に異動させていた。
長年支えた子分で故人の直参から取り上げた自宅が、抗争状態に入り、早くも井上の陰の盾に利用価値があったなど大凡、耳を疑うような話さえ平然と飛び交う末期状態で、井上組長に求心力なし。

名古屋方式と変わらぬ事態が捲れたのも、織田達が反旗を翻すきっかけだ。

近頃も九州での義理と続けて臨時金を徴収したり、また、兼一会の名倉 ネプチューン名倉の実兄の放免祝いに集めた金も、山健組の抗争功績者は服役年数1年に対して100万の功労金の基準にすると、この臨時金の徴収額は名倉の服役年数から換算できる功労金の額を遥かに超えている。

ロングを務め上げ、山健組の抗争で戦歴を上げた功績との理屈も同飯島会との抗争事件で服役した後、出所した他の組幹部、組員なでの功労金が同等の服役年毎100万だったことから弁解の余地なし。

山口組三代目
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