◆稲川会系譜
初 代 – 稲川聖城
二代目 – 石井隆匡(五代目横須賀一家総長)
三代目 – 稲川裕紘(二代目稲川一家総長)
四代目 – 角田吉男(五代目京葉七熊一家総長)
五代目 – 清田次郎(二代目山川一家総長)
六代目 – 内堀和也(三代目山川一家総長)
◆六代目稲川会組織図
総 裁 – 清田次郎
会 長 – 内堀和也
◆最高幹部
理事長 – 貞方留義(三代目埋地一家総長)
総本部長 – 池田龍治(十二代目小金井一家総長)-神奈川ブロック統括長
副本部長 – 鈴木郁夫(七代目田中一家総長)-北関東ブロック統括長
組織委員長 – 小林 稔(四代目山川一家総長)
渉外委員長 – 熊谷正敏(十一代目碑文谷一家総長)-東京中央ブロック統括長
運営委員長 – 近藤新一(七代目七熊一家総長)-南関東ブロック統括長
諮問委員長 – 中島順成(二代目中島一家総長)-東海ブロック統括長
総本部事務局長 – 斎藤孝一
◆最高顧問
小原忠悦
吉原勝彦
遠藤通夫
井積宏之
木川孝始
◆常任相談役
鈴木政行(二代目杉浦一家総長)
坂井繁生(四代目森田一家総長)
◆理事長補佐
沖 勝彦(二代目山瀬一家総長)
馬場知己(七代目佃政一家総長)
佐野照明(佐野組組長)-甲信越ブロック統括長
小林勝彦(初代裕統一家総長)-東北ブロック統括長
会長室長 – 井上司朗(七代目親之助一家総長)
及川雅憲(二代目高橋組組長)-北海道ブロック統括長
小沼武夫(六代目箱屋一家総長)
今井誠勝(五代目八王子一家総長)
工藤 巧(九代目八木田一家総長)
新井幸於(八代目一之瀬一家総長)
◆総裁付
松尾次郎(五代目林一家総長)
◆直参
荒木功年(初代荒木一家総長)
松田晃昇(七代目千住一家総長)
日永孝三(七代目相ノ川一家総長)
渡邊英毅(二代目稲秋一家総長)
渡邊慎丈(二代目松本一家総長)
52栗林 力(四代目巽一家総長)
保阪貫作(四代目山梨一家総長)
今村鉄舟(初代今村一家総長)
金津 勇(五代目加藤一家総長)
伊保橋大(六代目柴田一家総長)
森田晃向(六代目上州共和一家総長)
高田嘉人(二代目高田一家総長)
坂本芳成(坂本組組長)
中野義之(六代目木暮一家総長)
鈴木孝広(十一代目江戸屋一家総長)
藤田幸男(十五代目大草一家総長)
安藤裕樹(八代目仲新田一家総長)
秋山 進(二代目紘龍一家総長)
西家隆翔(十代目横須賀一家総長)
相良富一(相良組組長)
振原新太郎(初代相州小田原一家総長)
広石 健(二代目相模一家総長)
原田秀夫(四代目三日月一家総長)
楠野伸雄(二代目習志野一家総長)
田中安良(八代目大場一家総長)
石田建夫(四代目越路家一家総長)
岡本朱史(四代目山川一家総長代行・岡本組組長)
岡野美智男(五代目林一家総長代行・二代目松尾組組長)
千葉一也(十二代目小金井一家若頭・二代目池田組組長)
工藤 繁(初代裕統一家若頭・二代目小林組組長)
本部預かり
東一家
理事長預かり
十一代目堀井一家
稲川角二(のちの稲川聖城)が静岡県熱海市咲見町で稲川組を結成。事務所の看板を稲川興業とした。その後、鶴政会→錦政会→稲川一家 と名称変更を経て、現在の稲川会となる。
現在の会長は五代目 辛炳圭(通名:清田次郎)(二代目山川一家総長)
山川一家系の組長さんと話をしたことがあるのですが、会長の手はものすごく大きく、影で「グローブ」とあだ名されているようです。
2006年に角田吉男が四代目体制を発足させ、稲川会二代目山川一家若頭 内堀和也内堀組組長が六代目山口組二代目弘道会若頭 竹内照明二代目高山組組長と五分の兄弟盃を交わした。
後見人は六代目山口組若頭 髙山清司二代目弘道会会長と稲川会理事長 清田次郎二代目山川一家総長で、取持人は双愛会 塩島正則本部長(現双愛会六代目会長)で、媒酌人は水野四郎。
山一抗争をはじめ、数々の抗争で「時の氏神」の役割を果たしており、近年では松葉会の分裂騒動や、山口組と住吉会とのトラブルでも仲裁役を果たしている。
本家住所 神奈川県川崎市川崎区貝塚1-6-12
総本部住所 東京都港区六本木7-8-4八千代ビル
このビルの3階(後に6階)が総本部に使われています。
会合などがある時は、総本部前の道路が黒塗りの車で埋まります
昭和47年から35年間に渡り総本部し、八千代ビルの老朽化に伴い、赤坂ビルを購入したが、地域住民の組事務所移転反対運動にあい、ビルを売却する方針で地域住民と和解。
ここが稲川会の総本部になる予定だったビルです。
その後、八千代ビルを建て替えるまで、神奈川県横浜市都筑区東方町113-1の稲川会館に仮総本部としたのですが、建て替え無しでまた総本部を六本木の八千代ビルに戻したのだとか。
このビルは稲川会が東京進出したころの事務所のあった東京都中央区銀座6丁目9-13第一ポールスタービル。