一和会本部

設立から解散まで

当初は一和会約6000人山口組が約4000人だったが、山口組四代目が決定し、一和会側に付いていた直系組長達は引退し、その一和会組員は山口組に続々と戻り、半年後には山口組約1万人、一和会約2800人、解散時には約20人となっていた。

山口組と一和会の間に起こった暴力団抗争事件、山一抗争では、317件の大小抗争が発生し、一和会側に死者17人、負傷者49人、山口組側に死者8人負傷者17人を出した。

一和会本部事務所

1987年、山本広ら一和会直系組長34人に山口組の抗争終結決定を伝え、山本広も一和会の山一抗争終結決定を伝え、取り敢えずは抗争は終結した。

加茂田重政

「来たらこっちもやります。喧嘩はします。それははっきり言うときます。来たらね。」

という現在にも語り継がれる名言を加茂田重政副会長が残している。

しかし、一和会も抗争終結で一息ついたと思ったが、その後も山口組からの硬軟両面の締め付けが続き、大幹部の加茂田重政や松本勝美まで組の解散・ヤクザからの引退に追い込まれた。

山本弘

1988年10月には構成員数200人にまで衰退し、1989年3月19日に、山本は、神戸市の東灘警察署に出頭し、自身のヤクザからの引退と一和会解散を表明する。

この山一抗争の詳細は加茂田重政元副会長著「烈俠」に詳細が描かれている。

◆一和会(いちわかい)組織図
会 長 – 山本 広(山広組初代組長・元三代目山口組組長代行)
副会長兼理事長 – 加茂田重政(加茂田組組長・元三代目山口組若頭補佐)
幹事長 – 佐々木道雄(佐々木組組長・元三代目山口組若中)
本部長 – 松本勝美(松美会会長、元三代目山口組若中)
組織委員長 – 北山 悟(後に幹事長代行 北山組組長・元三代目山口組若中)
風紀委員長 – 松尾三郎
最高顧問 – 中井啓一(中井組組長・元三代目山口組舎弟)
常任顧問 – 溝橋正夫(溝橋組組長・元三代目山口組若頭補佐)
常任顧問 – 白神英雄(白神組組長・元三代目山口組若頭補佐)
特別相談役 – 大川 覚(大川組組長・元三代目山口組若中)
特別相談役 – 井志繁雅(井志組組長・元三代目山口組若中)
特別相談役 – 坂井奈良芳(坂井組組長・元三代目山口組若中)
常任理事 – 加茂田勲武(政勇会会長)
常任理事 – 中村 清
常任理事 – 片山三郎
副本部長 – 中川宣治(中川連合会会長)
副幹事長 – 吉田好延
理事長補佐 – 加茂田俊治(神竜会会長・元三代目山口組若中)
理事長補佐 – 河内山正義(後に本部長)
理事長補佐 – 福野 隆
理事長補佐 – 浅野二郎(浅野組組長)
理事長補佐 – 徳山三郎
事務局長 – 末次正宏
幹事長補佐 – 赤坂 進(赤坂組組長)

旧本部住所 兵庫県神戸市中央区北長狭通3-2-3ニューグランドビル2F

一和会本部

神戸市の三宮駅と元町駅の近辺に組事務所を構えていたようです。
こんなとこで、抗争事件を繰り広げていたのですからすごいですね。

 

このビルの2Fのようです。

 

一和会本部

今は中華料理店になっているようですね。