山一抗争から山口組分裂騒動まで
過去にも山口組には分裂に伴う激しい抗争があり、1984年、竹中正久四代目山口組組長の襲名に反発した山広組の山本広組長ら幹部が脱退し、一和会を興す。
翌年には竹中組長と中山勝正若頭が一和会系のヒットマンにより射殺され、山口組は即時報復に転じ、抗争が勃発。全国各地で317もの抗争が発生し、双方で25人の死者を出す「山一抗争」へと発展した。
2015年、山口組の分裂騒動は大きな衝撃だったが、分裂の可能性が高まったのが8月初旬。同時期に行われた組行事に騒動の中心にいる山健組や宅見組の組長が欠席したことから「組が割れるかもしれない」との情報が出回った。
神戸に本拠を置く山健組と名古屋で勢力を張る弘道会との対立の構図が鮮明となった山口組の内紛劇は関西だけでなく、首都圏での影響が避けられないと見られている。